茶道内弟子修業日記「大掃除1」
茶道内弟子修業日記「大掃除1」
年末になり、大掃除である。
(お寺の大掃除って?)
毎日毎日あきるほど掃除してるのに、さらに掃除するところあるんだろうか。
あるのだ。
手拭いで頭を巻き、もう一枚でマスクのように口を覆って本堂に向かう。
天井のすす払いである。
埃が舞い、大騒動のような雰囲気が楽しそうに見える。
和尚様は、何か自分が迷った時は、必ず雑巾を取る、というお話をされたことがある。
床を磨くのではない、
自分の心を清めるのだ。
そう一度言われたこともあった。
その時は、メイはよくわからなかった。
3時のお茶休憩の時間に、年末年始は豪華船でクルーズで何もしない旅、というニュースがテレビで放映されているのを見て、
「和尚が行ったら、我慢しきれず次の日からデッキを一人で掃除してそうやな」
次男の清さんが言うとみんなが笑った。
僧堂(修行道場)では、1日から1週間、凍てつく道場の中、「臘八摂心(ろうはつせっしん)」というぶっ続けの坐禅三昧の修行に身を置く。お釈迦さまが坐禅修業を通じて8日目に悟られた歩みをなぞらえるのである。
それが終わると、少しだけお休みをもらう。
長男も次男も僧堂から戻り、束の間、実家の御寺のお仕事に就いていた。
「どんなことしたの?」
掃除の合間に長男さんに聞いてみる。
「うーん、いろいろやな。たとえば、、、老師に目の前でパンッと両手をはたかれて、坐禅をしながらこれについて考えろって」
「両手をパンッ?」
「そう」
「さっぱり意味わからない・・・」
「そうやな・・・それがわかるまで坐って、答えが出たら老師の元に走ってくんや」
(両手をパンッ?)
「わかったっんですか?」
「まあ、今はいろいろな参考書があるからな」
(「両手でパンッ」の参考書があるの??勉強法があるの?)
ますますわからない。
「『公案集』ちゅうて、昔の人のこんな話をまとめた教科書があるんよ。
読みたかったら、裏の本棚にあるで、
「そこ掃除したらええ」ということになり、禅の本ばっかり並んでる本棚の掃除を(読むんじゃなくって?)仰せつかった。
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