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2009年9月

わびって?

お寺にいると特典もある。歌舞伎やら、展覧会やら、チケットを持ってきてくださる方がいるのだが、和尚様も体が一つしかないため、私たちにもまわってくるときがある。

「メイさん、明日休みやな」和尚様に言われ、「はい」というと、「ちょうど講演会の招待券があるから、行ってくるか」と聞かれたので、「はい」と2つ返事をして、もらってきた。

手にするまで何の講演会かもわからなかったが、よく見ると、禅と茶道について、長年修行されたお坊さんがお話してくれる会らしい。

会場に招待券を持って向かうと、30分前なのに長い列ができていた。(どんな話が聞けるんだろう)メイは、入り口に並びながら、久しぶりの講演会にワクワクしてきた。

壇上に立ったお坊様は、うちの和尚様の眼光するどい感じと違い、目元がやさしい感じの老僧であった。

「ここにたくさんのお茶人さんがいらっしゃる。みなさんが普段『わびだ』『わびだ』とおっしゃいますが、その『わび』とはどんなものですか?」

というお坊様の話に、(わびって言えば、そうだな、古い寺とか、質素なお道具とか、貧しい雰囲気の茶室とか・・・)そんなイメージが浮かんだ。

 「人間というのは、1つ得ると、2つ欲しくなる。2つ得ると、こんどは10欲しくなる。あれが欲しい、こうしたいと、煩悩に迷わされて、あっちゃ、こっちゃ、出かけ

右往左往

(

うおうさおう

)

。いざ死ぬというときになって初めて、自己を見つめ、いろいろ後悔する」

しかし、今からそういう自分自身を自覚して生きていくことが「わび茶」なのではないですか――と言われた。

自覚して、それからはじめて、そこから自由になれることができる。

さらに、その「わび」にさえ固執しない茶が、「わび茶」なのですよね、と語りかけてくださった。

(ええええ~侘び茶って、質素なお茶ではないのか。そうか、そうなのか)全部はわからなかったけど、お坊様の話で、自分や人間の中身を見る思いがした。

その帰り道、メイは廊下ですれ違ったおばさんたちの声にびっくりして足を止めた。

「私は、1つ得て2つ欲しいと思わないし」

「そうそう、私だって、あれ欲しいこれ欲しいとあっちこっちに出かけないわ」

「私たちは最初から違うわよね~」

あれ!? あの人たちって、ちょっと前のメイだ!!

(ちょっと前までなら、私もそう言ってた!自分は違うって。人間の根本の欲とか煩悩とか考えようとも思わなかった)

おばさんたちとメイ自身が重なった。

メイが3人、目の前で話してる・・・

あの人たちをこうやって見ることができたということは、少しだけメイも自覚できたということ?

メイも侘び茶の道を一歩進んだのだろうだろうか・・・。

【またつづく】

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欲しい言葉は降って湧いてくる?

静岡の社中(稽古場の仲間)の先輩方が、京都旅行に来ると連絡があった。

しかもメイの休みの日に合わせ、夕食をご馳走してくださることになった。

「お寺に居ると、こってり中華も食べれないでしょ」

「ほら、遠慮しないで食べて」

厳しかった先輩も、今日はすごくやさしい。

「大変だよね」

「お寺ではいろいろあるでしょ」

中華の丸テーブルを囲んで、メイを慰労する言葉をかけてくださる。

先輩たちに心配されればされるほど、不思議に、

(あれ?それほど大変じゃないかも・・)

と、思い始めている自分に気がついた。

不思議な感覚だが、言われれば言われるほど、お寺には、それ以上のことがあるように感じる。

先輩たちの「辛いでしょ~」「苦労するね~」という言葉をきっかけに、

段々とメイの頭の中に雲が湧き上がるように、その気持ちが渦巻いてくる。でも、それは、はっきりとはつかめない思いだった。

の稽古に行ったとき、偶然、先生が言われたことに、はっとした。

――お寺の方が楽でしょ

「え?」

皆とは逆の先生のお話に、最初はびっくりした。

だって、誰もがメイに「大変でしょ」と声をかけてくれるのに。

内弟子の先生は、「楽でしょう」と言われたのだ。

それは、単に一般的な心の修行の話をされていただけで、メイに言われたのではなかったが・・・

妙にズキンと響いた。

「御寺に入れば、頭剃って、僧衣を着て、世間と遮断され、廻りも修行者ですから、実のところ、とても修業しやすいのですよ。環境が整ってます」

――俗世で独り心を磨くほうが難しいですよね、実は。

 志さえあれば、寺のほうが楽・・・。

内弟子の先生が、ご自身の実体験に基づいて言われたことにメイは、はっと気がついた。

 (そうだ、だから先輩たちに言われて、余計に自分が実は楽してるって、感じたんだ)

苦しくて苦しくてたまらなかったお寺が、本当はすごい甘えさせてもらってるんだ、そうちょっとだけ実感できたということは・・・メイは少し変わってきたのかな。

欲しい言葉といのは、こうも上手く欲しい時に降ってくるものなのか、

たまたま成長したからキャッチできたのか、先輩と先生の偶然の言葉に感謝した。【つづく】

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花月が終わって

こんな風に、一度に何人もの人の動きとか気持に目や耳を研ぎ澄まして自分が動いていくことを集中的に学べる場って今までなかった。

本当は日常がこうでなきゃいけないんだろうけど、

こういう場に身を置かれないと、メイはできない自分を自覚した。

~面白い、花月って

誰とも話さないのに、

参加されているみんなといろんな話をしているような気がした。

◇◆◆

「ただ、花月ばかりやって上手になった人が、即、茶事がよくなるということではないですね」

内弟子先生の言葉にメイはきょとんとした。

同時に、この間お寺で手に取った大灯国師という偉い昔のお坊さんの遺言を思い出す。。。

弟子に伝えたものだ。

「死んだら葬式はいらん」と言って、

「どんなに一生懸命、立派なお寺で、戒律を守って、ずっと寝ないで座禅してようが、そればかりやってよしとする者は、私の末裔を名乗ることは許さん!

しかし、ぼろぼろのあばら屋で一人、野菜の根っこを煮て食している者でも、自己の探究心を忘れないものは、常に私と共にいる者だ」

そういうことだろうか。

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